Zon@ Japon 放送雑記



カテゴリ:懐メロ特集/Monográfico( 8 )


懐メロ特集 - 荒井由実 Yumi Arai (2) -

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico
sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy realizamos la segunda parte de Yumi Arai.

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

12月22日は、「ユーミン その2」!


* 結婚し、荒井由実から松任谷由実になった彼女は一時期スランプに陥りますが、1980年にリゾートを意識したアルバム『SURF & SNOW』を発売。続く81年のシングル『守ってあげたい』が70万枚のヒットとなり、第二次ブームが到来します。
83年のアルバム『VOYAGER』以降は、年末のニューアルバム発売が恒例となります。88年のアルバム『Delight Slight Light KISS』以降はミリオンセラーを連発し、90年のアルバム『天国のドア』で日本人アーティストとしては初めて、アルバムセールス200万枚の記録を達成しました。
デビュー以降の通算売上枚数は4,000万枚 に達し、アルバムの最高セールスはベストアルバム『Neue Musik』の325万組、シングルの最高セールスは『真夏の夜の夢』の143万枚ということです。


* 1979年の『OLIVE』コンサートツアーに本物の象が登場して以降、松任谷由実は緻密かつゴージャスな舞台を展開するようになり、ミュージシャンの域を超えたエンタテナーとしての地位を確立します。
99年の『YUMING SPECTACLE SHANGRILA』では、ロシアのサーカスチームやシンクロナイズドスイミングチームと共演、スケールの大きさで観客の度肝を抜きました。2003年には『SHANGRILA II』を開催。また、恒例の『SURF & SNOW』コンサートを、夏には逗子マリーナ、冬には苗場プリンスホテルで行っています。


* 彼女は作曲家・作詞家としても広く活動し、松任谷由実ならびに呉田軽穂として松田聖子ら数多くの歌手に、500曲を超える楽曲を提供しています。呉田軽穂というペンネームは「暮れるほどに頭を垂れる稲穂かな」という意味が込められていると同時に、女優グレタ・ガルボの名にちなんで付けられたんだそうです。
オリコンでアルバムが31年連続TOP10入り、女性最多の40作のアルバムがTOP10入りという前人未到の記録を更新し続けているのが、この荒井由実、ユーミンなのです。
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by zonajapon | 2005-12-21 05:50 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 - 荒井由実 Yumi Arai (1) -

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Yumi Arai.

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

11月24日は、恋愛中の女性のバイブル、いや神様と言われた(私の青春はこの人一色でした)「ユーミン その1」!


* ユーミンこと荒井由実は、1954年に東京都八王子市の『荒井呉服店』に、二男二女の第三子(次女)として生まれます。

中学生の時に、ミュージカル『HAIR』のオーディションに応募、そのプロデュースを川添浩史や作曲家の村井邦彦が務めていたのをきっかけに、東京港区のイタリア料理レストラン『キャンティ』に出入りするようになって、スパイダースのかまやつひろしらと出会います。

プロとしての初めての仕事はスタジオでのピアノ演奏で、その時彼女はまだ14歳でした。以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、1971年に加橋かつみに提供した『愛は突然に…』で作曲家としてデビューします。


* ユーミンは1972年4月に、多摩美術大学に入学。そこで土屋礼一などに師事します。

初めは作曲家志望だった彼女ですが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月にかまやつひろしがプロデュースしたシングル『返事はいらない』で、荒井由実としてデビュー。このシングルの売上はわずか300枚で終わり、後に『幻のデビューシングル』と呼ばれるようになります。

1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、同じく10月、國學院大学の学園祭でこのアルバムから2曲を披露します。そして、12月26日に渋谷の西武劇場(今のパルコ劇場)で行われた『村井邦彦スーパーセッション Introducing Yumi Arai』で、初めてステージに立ちます。

その後、1975年のシングル『あの日にかえりたい』が61万枚のヒットとなり、第一次ブームを迎えます。同じく75年の12月にアレンジャーの松任谷正隆と婚約、翌76年11月に横浜山手教会で結婚し、松任谷由実となるのです。


* ユーミンが活動を始めた時期には、日本の、フォークやブルース系、ハードロック系、カントリー・ブルーグラス系の音楽に携わる人々の間から、アメリカやイギリスの60年代の音楽に深く影響を受けた、後にニューミュージックと呼ばれるジャンルの音楽を志向する人たちが登場し始めます。

彼女自身が最も大きく影響を受けたのは、プロコル・ハルムだそうです。

この時期のミュージシャン達……ティン・パン・アレーのメンバーや山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子、尾崎亜美、ハイ・ファイ・セットなどは、皆、何らかの形で彼女の初期の作品に関わっています。
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by zonajapon | 2005-11-24 23:50 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -山下達郎 Tatsuro Yamashita-

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Tatsuro Yamashita

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

10月27日は、80年代の思春期に大変お世話になった「山下達郎」!

* 1953年2月4日生まれ、現在52歳の山下 達郎は、シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、そして音楽プロデューサーでもあります。出身地は東京都豊島区。
妻はシンガーソングライターの竹内まりやで、彼女のアレンジャー、プロデューサーとしても知られています。


* 山下達郎は1973年、「シュガーベイブ」としてデビュー。各地のライブハウスに出演するかたわら、大滝詠一や荒井由美のバックコーラスを務め、注目を集めました。1976年3月にバンドは解散。ソロ活動を始めますが、その類まれなメロディセンスとボーカルワークが周知のところとなり、CMタイアップや他のアーティストへの楽曲提供も数多くこなしています。

1980年に「RIDE ON TIME」を発表し、これがメジャーヒット。以降、年間1枚のペースでアルバムを発表し、コンサートツアーもこなしています。

1988年発表のシングル「GET BACK IN LOVE」は、ドラマの主題歌としてスマッシュヒット。翌年には「クリスマス・イブ」がCMでオンエアされ、チャート3週連続1位を記録、この曲は今ではクリスマスの「超定番ソング」ですよね!

キャリア30年目の今年、通算21枚目、新作オリジナル・フル・アルバムとしては12枚目の「SONORITE」を、先月9月14日リリースしたばかりです。


* 1960年代のアメリカンポップス・ロックに影響を受けた良質な楽曲を作り続けるミュージシャン、山下達郎は、日本における「アカペラ・ドゥーワップ」の第一人者です。自分自身のヴォーカルを多重録音する「1人アカペラ」という手法を取り入れることで知られています。

音と音作りに対して非常に厳しく、時代や流行に流されない、むしろあえて反発するその製作姿勢から「職人」とも呼ばれています。

レコーディングの際には、基本的にボーカル、バックコーラスはもちろんのこと、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションにいたるまで全て1人で手がけてまして、曲によっては全部1人で演奏していることもあります。
また、独特なタイム感のギターカッティングにも定評があるアーティストです。
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by zonajapon | 2005-10-28 07:50 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -中森明菜 Akina Nakamori-

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Akina Nakamori.

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

7月28日は、80年代を代表するアイドル「中森明菜」!


往年のアイドルと言えば主流は清純派。いわゆるリカちゃん人形的な明るく可愛いキャラが定番ですが、いつの時代もアンチな存在というのは求められるものです。山口百恵しかり…。

中森明菜も、そういう意味ではデビュー当時から主流とは一線を画した存在でした。『スター誕生』への出場をキッカケに、82年に「スローモーション」でデビュー。同期のアイドルには、小泉今日子・早見優・松本伊代・堀ちえみなどがいます。

2ndシングルの「少女A」で、不良っぽさや陰りのあるアイドルとしてのイメージが定着し、以降、「セカンド・ラブ」「禁区」「飾りじゃないのよ涙は」と、連続ヒットを飛ばしていきます。

衣装・メーク・振り付け・楽曲のプロデュースなどを自身で担当し、また、歌唱力にも磨きをかけて、アイドルの枠をこえた高いアーティスト性を発揮。松田聖子と共に80年代を代表する歌姫となったのでした。


中森明菜は、1985年に『ミ・アモーレ』、そして86年に『DESIRE』で2年連続『日本レコード大賞』を受賞します。

オリコン週間シングルチャートでは21作のナンバー・ワンを獲得し、女性歌手としては松田聖子に次ぎ、浜崎あゆみと並ぶ2位タイ記録を保持しています。

またテレビ番組『ザ・ベストテン』では69週で1位となり、番組史上最多記録を打ち出しました。

その勢いはとどまるところを知らないかのように見えたのですが、近藤真彦との破局騒動で89年7月に自殺未遂事件を起こし、しばらく歌手を休業することになります。


中森明菜は、1992年にテレビドラマ『素顔のままで』に出演し高視聴率を獲得します。完全復帰したかに見えましたが、その後もレコード会社の移籍トラブルなどのスキャンダルが続いて、歌手としては不遇な時代を過ごすことになります。

デビュー20周年を迎えた2002年、カバーアルバム『ZERO Album - 歌姫II』をリリースし、これがヒット。ライバル視された先輩格の松田聖子の『瑠璃色の地球』、憧れの存在である山口百恵の『秋桜』などをカバーし話題となりました。

また同じく2002年、14年ぶりにNHKの『紅白歌合戦』にも出場しました。

2004年には、自身のレコードレーベル「歌姫レコーズ」を設立し、全国でディナーショーなども行っています。今年はテレビへのゲスト出演も多いようですね。

オンエア・ナンバー
少女A
セカンド・ラブ
十戒
ミ・アモーレ
難破船
デザイアー
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by zonajapon | 2005-07-27 05:55 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -松田聖子 Seiko Matsuda-

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Seiko Matsuda.

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

6月30日は、永遠のアイドル「松田聖子」!


今年4月1日に歌手活動25周年を迎えた松田聖子は、1980年代を代表するスーパーアイドル・スターです。

いわゆる『アーティスト』となった現在も、アイドル期以来の根強い人気を持ち、固定ファンの層が厚く、毎年、日本武道館、大阪城ホールなどをメイン会場に、全国的コンサートを行っています。

歌の巧みさやスターのオーラなどから、年齢や結婚などに関係なく、アイドル出身の歌手としては異例の高い人気を保ち続けていることから、日本では「永遠のアイドル」とも呼ばれています。

一時はスキャンダルの噂に包まれたこともありますが、汚れたイメージが無く、ある意味で、昨今、もっともスターらしい芸能人であり、芸能界にも松田聖子のファンは多いということです。

又、松田聖子のディナーショーは業界でも有名で、芸能人のディナーショーとしては、一番値段が高いんだそう。最高で22万円ですって。この価格も聖子ちゃんの人気の強さを示しています。


松田聖子は、1962年3月10日、福岡県久留米市生まれ。
43歳になった現在でも、身長 159cm/体重 40kgのデビュー当時の体型をばっちりキープしています。

芸能界デビューには猛反対だった父親を、約1年半かけて説得し、1980年4月に「裸足の季節」で歌手デビュー。アイドルとして、その年の新人賞を総なめしました。

また、「聖子ちゃんカット」と呼ばれる独特のヘアスタイルが全国を風靡したのも懐かしい思い出ですね。当時愛媛県の中学生だった私も、毎朝ドライヤーで髪の毛を流して から学校に行っていました。

1980年のサード・シングル「風は秋色」から1988年「旅立ちはフリージア」まで24曲、オリコン連続1位に輝くという、女性歌手としてのトップの記録を、現在でも維持しています。


押しも推されぬスーパースター・聖子ちゃんの私生活は、やはり一筋縄ではいかないものでした。

1985年、交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局。
結局、映画「カリブ・愛のシンフォニー」で共演した神田正輝と85年に結婚し、翌86年に、長女の沙也加ちゃんを出産しました。

90年に全米デビューしたことをきっかけに、それまでの事務所から独立。
スキャンダルの嵐と、執拗なバッシングの的にされ、聖子潰しのシナリオがあるのではないかと言われたほどでした。が、しかし、聖子人気は下がらず、むしろ高まり、唯一「スキャンダルに強い芸能人」と見られています。

1997年、神田正輝と離婚。
このニュースは、芸能を越えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、街では号外まで配られました。 1年後には、6歳年下の歯科医と交際2か月で結婚しますが、2000年12月には離婚。

神田正輝との一人娘、沙也加ちゃんは、2002年に歌手デビューし、今では親子そろってコマーシャルに出演するなど、芸能親子となっています。

オンエア・ナンバー
青い珊瑚礁
赤いスウィートピー
夏の扉
白いパラソル
秘密の花園
ロックン・ルージュ
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by zonajapon | 2005-06-30 01:46 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -サザンオールスターズ Southern All Stars-

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

5月26日は、デビューから四半世紀経った今も圧倒的人気を誇るグループ「サザンオールスターズ」!

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Southern All Stars.

Este grupo japonés, liderado por el vocalista KEISUKE KUWATA, es también conocido como “Sazan” o “SAS”.
Desde la publicación en 1980 de su álbum “Tiny Bubbles”, sus 17 obras no han dejado de ser el número uno de las listas de ventas. Sus 40 singles han estado siempre dentro de los TOP10, batiendo así un record en la historia de la música de Japón.

Sus fans no tienen límite de edad ni de sexo, y desde su debut en 1978 este grupo se ha mantenido de forma excepcional en primera fila a pesar de que en el mundo de la música japonesa los géneros rock, pop y música tradicional dejaron de tener significado por sí mismos.

Aunque la situación de la música en Japón atravesara por un período de enfermedad crónica, debido principalmente a la gran diversificación de los gustos y, por consiguiente, al descenso en las ventas de discos, y debido también a la creación de éxitos que sólo eran escuchados por un grupo generacional, “Southern All Stars” ha conseguido tener un público de todas las edades.

Hoy en día sigue manteniéndose en los puestos más altos de las listas y tienen el atractivo y la magia suficientes como para que sus conciertos se llenen por completo.

En el 2003, año en el que se cumplieron 25 años de su debut, volvieron a publicar el que fue su primer single titulado “KATTE NI SINDO BATTO” .

Esta nueva edición de la obra no sólo despertó el interés sino que vendió 220.000 copias en una semana colocándose en el primer puesto de la lista japonesa ORICON, y sorprendió a la opinión pública ya que era un acontecimiento sin precedentes el hecho de que un álbum reeditado un cuarto de siglo después de su primera publicación se colocara en el número 1.

Por otro lado, y coincidiendo por esas fechas, varias cadenas de radio decidieron, entre otras cosas, emitir programas especiales de 24 horas sobre “Southern All Stars” para celebrar el vigésimo quinto aniversario de su debut.

オンエア・ナンバー
勝手にシンドバット
いとしのエリー
艶色ザ・ナイトクラブ
ミス・ブランニューデー
涙のキッス
エロティカセブン
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by zonajapon | 2005-05-26 00:00 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -山口百恵 Momoe Yamaguchi-

毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

4月28日は、伝説から今や神話となった永遠のスター「山口百恵」!

Cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy hemos elegido a Momoe Yamaguchi. 

Momoe Yamaguchi ya es una estrella legendaria para los japoneses.

Ganó el 2º premio en un programa de audición de TV llamado “Star Tanjyo”, como “Operación Triunfo” de Japón a finales del año 72. Debutó en la primavera del año 73 con el single “Tokimeki”. Aún que por aquel entonces sólo tenía 14 años, Momoe se convirtió en una súper ídolo para los jóvenes y los que no estaban tan joven.

Su carrera de cantante se puede dividir en 3 etapas.

En la 1ª etapa, Momoe cantaba canciones hechas por las manos de
Kazuya Senke (letra) y Syunichi Tokura (música). En esta etapa Momoe se expresaba con la sensualidad de una muchacha joven.

En la 2ª etapa se decantó por una línea más Folk. Los cantautores más prestigiosos de aquel momento como Shinji Tanimura, Masashi Sada, Takao Horiguchi le ofrecieron sus canciones.

En la 3ª etapa, Momoe cantaba las obras de Yoko Agi (letra) y Ryudou Uzaki (música) e interpretaba perfectamente los sentimientos de una mujer adulta y madura, aunque todavía no había cumplido los 20 años.

Momoe Yamaguchi era tan buena cantante como actriz. Interpretaba papeles de protagonista en muchas películas y series televisivas japonesas. Sobre todo con el joven actor Tomokazu Miura formó una buena y famosa pareja, el público les llamaba “la pareja de oro”. Y en 1980 esta pareja de oro se hizo “matrimonio de oro” en la vida real.

Antes de casarse Momoe anunció su retirada por completo, todo el mundo se sorprendió, lo lamentó y se preguntó ¿por qué ahora? Su popularidad había llegado a lo más alto y sin duda, como ídolo, era la Nº 1 de Japón. Pero su sueño desde que era pequeña era ser una buena esposa y una buena madre, formar una familia, nadie iba a cambiar su decisión.

Celebró su último concierto el 5 de Oct de 1980 en Nihon Bodo kan, el recinto de conciertos mas famoso de Japón. Y el día 19 de Nov se casó con el hombre de su vida Tomokazu Miura.

Hasta hoy Momoe Yamaguchi no ha vuelto al mundo de música, el cine, o la televisión. Muchos fans y medios de comunicación no despegan sus ojos de ella, pero Momoe sigue manteniendo la distancia con el mundo de espectáculo.

Excepto en dos momentos.
Después de casarse Momoe publicó un ensayo llamado “Aoi toki” (el momento azul) era casi autobiográfico. Desde luego, en Japón, vendió muchos ejemplares. También hizo letras para canciones cantadas por otras artistas, por ejemplo “La sezon” de Anne Luis está escrita por ella.

Han pasado 24 años desde su retirada, y todavía ningún artista ha podido superar su valiente y bellísimo acto.
Por eso le llamamos “Momoe Yamaguchi, estrella de leyenda”.


オンエア・ナンバー
禁じられた遊び
ひと夏の経験
愛染橋
コスモス
絶体絶命
ロックンロール・ウイドウ
さよならの向こう側
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by zonajapon | 2005-04-28 00:00 | 懐メロ特集/Monográfico

懐メロ特集 -井上陽水 Yosui Inoue-

3月から毎月最終週は、30分間フルで「懐かしのアーティスト特集」を行っています。

第1回を華々しく飾るのは、泣く子も黙る大ベテラン「井上陽水」!

A partir de Marzo, cada última semana de mes, hacemos un monográfico sobre un artista japonés que ha tenido o tiene mucho éxito en Japón.

Hoy por ser la primera vez hemos elegido a Yousui Inoue.

Yousui Inoue es cantante y compositor de canciones japonesas muy popular con una carrera artística de más de 35 años. Aunque ha tenido una carrera muy larga y exitosa siempre en primera línea, es partidario de llevar una vida muy sencilla (“comer, dormir y divertirse”). Es capaz de crear canciones que gusten a cualquier japonés.

Yousui Inoue hace su debut en 1969 con la discográfica CBS Sony (actualmente Sony Entertainment) con el nombre artístico Andore Kandore. Sin embargo, su primer disco no tuvo éxito. Por ello, en 1972, tras cambiar su nombre artístico a Yousui Inoue, lanzó su single “Jinsei ga nido areba” (Si viviéramos dos veces) con la firma Polidor Records. En mayo de ese año publica su primer álbum “Danzetsu” (Rotura), en diciembre el segundo, titulado “Yousui 2 Sentimental ”, y en julio de 1973 lanzó un disco en directo llamado “Modori michi” (Camino de vuelta). Aunque en aquel momento, el mundo de la música se centraba más dominado por los singles, el público valoró que Inoue apostara por el formato de LP (álbum).

Con el álbum “Koori no sekai” (Mundo de hielo) vende en 1975 un millón de copias. En ese mismo año, montó su propio sello discográfico FOR LIFE RECORDS junto con otros artistas japoneses como Takuro Yoshida, Shigeru Izumiya, Hitishi Komuro. A partir de la década de los 80, se dedica a ofrecer sus composiciones a otros artistas. En 1985, en la vigésimo séptima edición de los premios de la música japonesa, gana el premio a la mejor composición musical y al mejor álbum. Sus canciones son el tema principal de muchas series y anuncios publicitarios.


<オンエア・ナンバー>
人生が2度あれば
青空1人きり
リバーサイド・ホテル
いっそセレナーデ
アジアの純情
最後のニュース
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by zonajapon | 2005-03-31 00:00 | 懐メロ特集/Monográfico


ソナ・ハポン(Zona Japon)は、マドリッドのFM局 "ラジオ・シルクロ100.4FM" にて放送のジャパンカルチャー紹介番組です!      (09年で一旦終了)www.radiocirculo.es
お知らせ
● Yukki Yaura さんとのコラボ、松嶋翻訳のオールカラーe-book “HAIKU Poemas ilustrados”発売中!!

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お問い合わせは、info@suekichibook.com まで。

● 07年-08年シーズン放送のPepi Valderrama嬢による「日本-スペイン文化比較」、Yukki Yaura女史による「環境をめぐる日本と日本人の事情」はPod Casting専用ブログhttp://zonajapon.cocolog-nifty.com/blog/でお聴きいただけます!

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